今回の記事では、初期ハイデガー哲学を研究するに当たって重要な基本的テクストをまとめ、『存在と時間』が形成されていった過程について自分の理解しているところの概略を書いていく。
初期フライブルク時代
初期フライブルク時代
1919年夏「現象学と超越論的価値哲学」(GA56/57)
冬「現象学の根本諸問題」(GA58)
1920年夏「直観と表現の現象学」(GA59)
冬「宗教現象学入門」(GA60)
1921年夏「アウグスティヌスと新プラトン主義」(GA60)
冬「アリストテレスの現象学的解釈ー現象学的研究入門」(G61)
1922年夏「存在論と論理学に関するアリストテレス精選諸論文の現象学的解釈」(GA62)
「ナトルプ報告」(GA62)
「ナトルプ報告」(GA62)
1923年夏「存在論(事実性の解釈学)」(GA63)
マールブルク時代
1923年冬「現象学的研究への入門」(GA17)
1924年夏「アリストテレス哲学の根本諸概念」(GA18)
冬「プラトン『ソピステス』」(GA19)
「時間の概念」(GA64)
「時間の概念」(GA64)
1925年夏「時間概念の歴史への序説」(GA20)
冬「論理学ー真理への問い」(GA21)
1926年夏「古代哲学の根本諸概念」(GA22)
冬「トマス・アクィナスからカントまでの哲学の歴史」(GA23)
1927年夏「現象学の根本諸問題」(GA24)
冬「カントの『純粋理性批判』の現象学的解釈」(GA25)
『存在と時間』(GA2)
1927年夏「現象学の根本諸問題」(GA24)
冬「カントの『純粋理性批判』の現象学的解釈」(GA25)
『存在と時間』(GA2)
『存在と時間』の二つの下書き
『存在と時間』にはその前身となる二つのテキストがあることが知られている。それが1922年の「ナトルプ草稿(アリストテレスの現象学的解釈)」と1924年の「時間の概念」である。「ナトルプ報告」は、ハイデガーが当時行っていたアリストテレスについての研究の要約を、大学教員としての就職のためマールブルク大学のナトルプ教授に送付したものである。そのため、「ナトルプ報告」は論文や著作として公に発表されたものではない。また、それが予告していたアリストテレス研究自体も著作として出版されることはなく、「時間の概念」に取り込まれる形で解消されることになる。「時間の概念」は、ロータッカーという人物に寄稿を依頼されて書かれた、ディルタイについての論文である。しかし、この論文も雑誌投稿における諸々のトラブルによって、そのままの形で公に発表されることはなかった。そして、1924年の「時間の概念」執筆から3年後、1927年になってやっと、「ナトルプ報告」と「時間の概念」の成果を取り込んだ形で、『存在と時間』が出版されることになる。
ベルクソン→ディルタイ・フッサール→アリストテレス
『ナトルプ報告』からは、『存在と時間』が元はアリストテレス研究から発展して成立したものだということが見て取れる。実際、『存在と時間』に出てくる多くの概念はアリストテレスに由来するものだということがこれまでの研究によって指摘されているし、「ナトルプ報告」の内容や構成は『存在と時間』にそのまま対応するものを確認することができる。
しかし、『存在と時間』が書かれた最も主な動機は、アリストテレス研究にあったのではない。確かに、ハイデガーがアリストテレスに関心を持ったのはその研究人生において極めて初期の頃、つまり1907年にナトルプの『アリストテレスによる存在者の多様な意味について』を読んでからであり、それからアリストテレスと存在論への関心は常にあったといえる。しかし、ハイデガーが『存在と時間』の着想を得ていく1920年代初頭、彼の主な関心は、具体的な人間の在り方を理解すること、現在では事実性の解釈学と呼ばれるものにあった。高田(2014)は、この頃のハイデガーが生の哲学に取り組んでいたこと、その中でも最初の方はベルクソンに、後にはディルタイに大きく影響を受けていたことを指摘している。ベルクソン哲学の観点から見てみると、彼が純粋な持続を空間的・表象的な人間観から区別し、人間をその直接性において捉えようとした試みに、事実性の解釈学の目的は確かに一致しているように見える。ただ、ハイデガーはベルクソンと共通の目的を持ちながらも、ベルクソンとは異なった方法で人間理解を追求した。その方法がディルタイやフッサールとの関連で練り上げられた解釈学的現象学である。
解釈学的現象学という方法論を形成する過程で行われた、範疇的直観や形式的告示の研究で主な目的とされているのは、事実的生の解明であり、そこではアリストテレスや存在論といった主題は目立っていない。アリストテレスとそこから続く哲学史の読み直しは、むしろこの解釈学的現象学という方法論からして初めて可能となったのである。この観点から、『存在と時間』は現象学的な解釈の主体と対象という二つの側面を発展させたものと見ることができる。『存在と時間』第一部の現存在の実存論的分析論は、解釈の主体としての現存在を論究したものであり、第二部の存在史の解体は、解釈の対象としての既成的な存在観を論究したものだといえる。
このようにハイデガー哲学において非常に重要な位置づけを持つ解釈学的現象学という方法を研究するに際して、とりわけ初期フライブルク時代に行われた講義は重要である。また、解釈学的現象学はハイデガー哲学内部のみならず、現象学、認識論の歴史における一つの断絶を意味するものであり、人間を理解するという点で、それはカウンセリングや心理療法、臨床心理学という一学問の体系そのものの根幹に関わる問題でもある。
参考文献
高田珠樹(2014)『ハイデガー』講談社
轟孝夫(2017)『ハイデガー『存在と時間』入門』講談社
ハイデガー・フォーラム(2021)『ハイデガー事典』昭和堂
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