ビンスワンガーはスイスの精神科医で、現存在分析学派を形成した人である。今回の記事では、彼の業績や学問的立場についてまとめる。それによって、現存在分析がどのようなものなのか、その具体的な輪郭がつかめるだろう。
年表
年表
1881スイスのクロイツリンゲンで生まれる
1904ハイデルベルク大学に通う、ボンヘッファー教授に学ぶ
1905チューリヒ大学に通う、ブロイラーに学ぶ
1906ブルクヘルツリ病院に勤務、ユング、アブラハムらと働く
1907クロイツリンゲンの実家の医院で働く、フロイトに初めて会う
1908イェーナの伯父の医院で働く
1909『あるヒステリー分析のこころみ』
1910国際精神分析協会発足
1911クロイツリンゲンで父の後を継ぐ
1911リープマンの講演「精神医学に対するウェルニッケの意義」を聞く
1911『あるヒステリー性恐怖症の分析』
1920『精神分析と臨床精神医学』
1922『一般心理学の諸問題への序論』
1922『現象学について』
1923フッサールと会う
1923フッサールと会う
1926『精神分析における経験、了解、解釈』
1927『生命機能と内的生活史』
1928『職業としての心理療法』
1930『夢と実存』
1928『職業としての心理療法』
1930『夢と実存』
1931『観念奔逸について』
1934『ヘラクレイトスの人間理解』
1934『精神療法について』
1934『ヘラクレイトスの人間理解』
1934『精神療法について』
1936『フロイトと臨床精神医学の憲章』
1936『人間学の光に照らして見たフロイトの人間理解』
1942『人間的現存在の根本形式と認識』
1945『精神医学における現存在分析的研究方向』
1950『現存在分析論と精神医学』
1954『現存在分析と精神療法』
1945『精神医学における現存在分析的研究方向』
1950『現存在分析論と精神医学』
1954『現存在分析と精神療法』
1956『フロイトへの道』
1956『失敗した現存在の三形式』
1956『失敗した現存在の三形式』
1957『精神分裂病』
1960『うつ病と躁病 現象学的試論』
1965『妄想』
1966クロイツリンゲンで生涯を終える
ビンスワンガーと精神医学
ビンスワンガーについて、最初に言及しておきたいのは、彼が代々精神科医を輩出してきた名家の生まれであったということである。彼の父、ローベルト・ビンスワンガーは一精神病院の院長であったし、叔父のオットー・ビンスワンガーはイェーナ大学精神科の教授であった。奇遇にも、このオットー・ビンスワンガーは晩年に発狂したニーチェを診た精神科医でもある。
ビンスワンガーがこのような家系に生まれたことがなぜ重要なのかというと、それは彼がこのことによって、正統的な精神医学と精神分析という当時の学問的、政治的対立の中で微妙な位置に立たされることになったことにある。当時は精神分析の黎明期であり、フロイトを中心とした精神分析運動は大きな盛り上がりを見せていた。しかし、無意識という心的概念を重視する精神分析に対して、基本的に生物学的原理に基づく従来からの精神医学は対立していた。ビンスワンガーはこのような正統的精神医学のただ中で教育を受けてきた一方で、ブロイラーやユングとの出会いもあって、精神分析にも慣れ親しむ機会を与えられることになった。そこで、彼はこの二つの立場をどのように折り合わせるかという課題に直面することになる。彼は精神分析の科学的意義を考える上で、哲学に方法論的基礎を求め、その結果成立したのが現存在分析なのである。
現代の日本の臨床心理学は、公認心理師資格と臨床心理士資格の分裂に見られるように、混乱を極めているが、この資格分裂の一端には、精神医学とユング派を中心とする深層心理学の対立があったといわれている。つまり、精神医学と精神分析の対立という状況は100年前から続いていて、現在も実際に重大な問題を引き起こしているのである。このような状況において、ビンスワンガーが歩んだ道は、現在我々にとって必要なものも示唆しているといえるだろう。
ビンスワンガーとフロイト
周知のように、フロイトは精神分析を発展させていく上で、アドラーやユングを始めとした多くの離反者を生み出した。しかし、そのようなフロイトの関係者の中でも、ビンスワンガーは独自の道を進んだにも関わらず、最後までフロイトとの関係が壊れなかった数少ない一人であった。ビンスワンガーにおいて、フロイト及び精神分析との関わりは、精神科医としてのキャリアのその始まりから決定的なものであり、現存在分析はまさに精神分析から発展したものだということができる。彼は精神分析運動の初期からその中枢にいた。1907年には、ユングと共に、初めてフロイトに会いにウィーンを訪問するが、それはユングがフロイトと初めて直接会った訪問でもあった。『フロイトへの道』には当時の水曜会の様子が非常に明細に描かれている。その後、フロイトとの関係は生涯続いていくことになるが、ビンスワンガーは忠実なフロイトの徒であったというわけではない。例えば、フロイトの80歳の誕生日を記念する祝賀講演である『人間学の光に照らして見たフロイトの人間理解』では、フロイトの賞賛と共にその限界の指摘が行われている。このようなフロイトの批判は、後のメダルト・ボスやフランクルなどの精神分析に対する評価に、大きな影響を与えている。
ビンスワンガーとハイデガー
現存在とは、ハイデガー哲学における、人間を意味する概念である。従って、現存在分析というと、主にハイデガー哲学に基づいた心理学的方法と思われるかもしれない。しかし実際は、ビンスワンガーがハイデガーを最も重視していたのは一時期に過ぎない。最初はフッサールの現象学に基づいて、ビンスワンガーは自らの立場を精神病理学的現象学と呼称している。その後、ハイデガー哲学が導入され、現存在分析という呼称が用いられるようになる。しかし、彼の学術活動の後期においては、再びフッサール現象学が重視されるようになり、病理的現象の構成的契機の把握が目指されるようになる。
また、ビンスワンガーのハイデガー哲学の理解には問題があったことが、ハイデガー本人、メダルト・ボスなどによって指摘されている。例えば、ビンスワンガーは、関心のもとに生きる世界内存在という概念の不十分さを指摘し、愛のもとに生きる世界超出存在というものを、『人間的現存在の根本形式と認識』で論じているが、そうした試みは彼らによって誤解だとされている。筆者としては、ビンスワンガーによるハイデガー哲学そのものの修正は、レヴィナスによるハイデガー批判とほぼ同一の問題意識の下になされているように思える。従って、こうしたビンスワンガーのハイデガー理解は、ただの誤解というだけではなく、一定の思想史的必然性のあるものであったとはいえるだろう。
ビンスワンガー現存在分析の時期的区分
宮本忠雄(1966)は、ビンスワンガーの理論的展開を四つの時期に分けて整理している。ここでもそれに従って、それぞれの時期の傾向や代表的論文、著作について手短にまとめておく。
1精神分析への道(1906~1920)
最初の段階は、フロイトの精神分析に基づいて実践や研究を行っていた時期である。この時期としては『あるヒステリー性恐怖症の分析』や『一般心理学の諸問題への序論』がある。ビンスワンガーは1911年にリープマンの「精神医学に対するウェルニッケの意義」という講演を聞き、同じように精神医学に対するフロイトの意義を語ることができるのではないかと考え、それが精神分析を哲学的に考え直すきっかけになったといわれている。
2現象学への傾斜(1921-1929)
次の段階は、フッサールの現象学に基づき、現象学的精神病理学という立場に立つようになった時期である。この時期の代表的なものには、『現象学について』や『生命機能と内的生活史』などがある。ビンスワンガーは後者の論文で、精神医学にはない精神分析の科学的意義を、個人の内的歴史を扱うという点に見ている。
3現存在分析への展開(1930-1955)
三番目の段階は、ハイデガーの『存在と時間』に影響を受け、現存在分析を提唱するようになった時期である。この時期の代表的なものには、『夢と実存』、『人間的現存在の根本形式と認識』、『精神分裂病』などがある。『夢と実存』はかなり有名な論文であり、フランスで出版される際にはあのミシェル・フーコーが序文を書いている。『精神分裂病』はビンスワンガーの主著とみなされることの多い最も代表的な著作といえる。『人間的現存在の根本形式と認識』は、実践面における『精神分裂病』に対応して、ビンスワンガーの理論面における主著といわれているらしいのだが、日本では翻訳されていない。
4現象学への回帰(1956-1966)
最後の段階は、フッサールの現象学が再び重視されるようになり、個々の病理的現象がどのように構成されるのかが主題として研究された時期である。この時期の代表的なものには、『うつ病と躁病』や『妄想』などがある。このような精神病理学的研究は、抗精神病薬の発見、開発によって、現代では大分下火になった感があるが、心理療法を考える上では、依然として重要な意義を持ち得るだろう。
参考文献
L.ビンスワンガー(1967)『現象学的人間学』(荻野恒一、宮本忠雄、木村敏訳)みすず書房
L.ビンスワンガー(1969)『フロイトへの道ー精神分析から現存在分析へ』(竹内 直治 、 竹内 光子訳)岩崎学術出版社
宮本忠雄(1966)「ビンスワンガー」精神病理学, 1, 383-444.
村本詔司(1994)「ビンスヴァンガーからボスへ--現存在分析の展開-1-」花園大学研究紀要 / 花園大学文学部 編 (26), p81-113
1960『うつ病と躁病 現象学的試論』
1965『妄想』
1966クロイツリンゲンで生涯を終える
ビンスワンガーと精神医学
ビンスワンガーについて、最初に言及しておきたいのは、彼が代々精神科医を輩出してきた名家の生まれであったということである。彼の父、ローベルト・ビンスワンガーは一精神病院の院長であったし、叔父のオットー・ビンスワンガーはイェーナ大学精神科の教授であった。奇遇にも、このオットー・ビンスワンガーは晩年に発狂したニーチェを診た精神科医でもある。
ビンスワンガーがこのような家系に生まれたことがなぜ重要なのかというと、それは彼がこのことによって、正統的な精神医学と精神分析という当時の学問的、政治的対立の中で微妙な位置に立たされることになったことにある。当時は精神分析の黎明期であり、フロイトを中心とした精神分析運動は大きな盛り上がりを見せていた。しかし、無意識という心的概念を重視する精神分析に対して、基本的に生物学的原理に基づく従来からの精神医学は対立していた。ビンスワンガーはこのような正統的精神医学のただ中で教育を受けてきた一方で、ブロイラーやユングとの出会いもあって、精神分析にも慣れ親しむ機会を与えられることになった。そこで、彼はこの二つの立場をどのように折り合わせるかという課題に直面することになる。彼は精神分析の科学的意義を考える上で、哲学に方法論的基礎を求め、その結果成立したのが現存在分析なのである。
現代の日本の臨床心理学は、公認心理師資格と臨床心理士資格の分裂に見られるように、混乱を極めているが、この資格分裂の一端には、精神医学とユング派を中心とする深層心理学の対立があったといわれている。つまり、精神医学と精神分析の対立という状況は100年前から続いていて、現在も実際に重大な問題を引き起こしているのである。このような状況において、ビンスワンガーが歩んだ道は、現在我々にとって必要なものも示唆しているといえるだろう。
ビンスワンガーとフロイト
周知のように、フロイトは精神分析を発展させていく上で、アドラーやユングを始めとした多くの離反者を生み出した。しかし、そのようなフロイトの関係者の中でも、ビンスワンガーは独自の道を進んだにも関わらず、最後までフロイトとの関係が壊れなかった数少ない一人であった。ビンスワンガーにおいて、フロイト及び精神分析との関わりは、精神科医としてのキャリアのその始まりから決定的なものであり、現存在分析はまさに精神分析から発展したものだということができる。彼は精神分析運動の初期からその中枢にいた。1907年には、ユングと共に、初めてフロイトに会いにウィーンを訪問するが、それはユングがフロイトと初めて直接会った訪問でもあった。『フロイトへの道』には当時の水曜会の様子が非常に明細に描かれている。その後、フロイトとの関係は生涯続いていくことになるが、ビンスワンガーは忠実なフロイトの徒であったというわけではない。例えば、フロイトの80歳の誕生日を記念する祝賀講演である『人間学の光に照らして見たフロイトの人間理解』では、フロイトの賞賛と共にその限界の指摘が行われている。このようなフロイトの批判は、後のメダルト・ボスやフランクルなどの精神分析に対する評価に、大きな影響を与えている。
ビンスワンガーとハイデガー
現存在とは、ハイデガー哲学における、人間を意味する概念である。従って、現存在分析というと、主にハイデガー哲学に基づいた心理学的方法と思われるかもしれない。しかし実際は、ビンスワンガーがハイデガーを最も重視していたのは一時期に過ぎない。最初はフッサールの現象学に基づいて、ビンスワンガーは自らの立場を精神病理学的現象学と呼称している。その後、ハイデガー哲学が導入され、現存在分析という呼称が用いられるようになる。しかし、彼の学術活動の後期においては、再びフッサール現象学が重視されるようになり、病理的現象の構成的契機の把握が目指されるようになる。
また、ビンスワンガーのハイデガー哲学の理解には問題があったことが、ハイデガー本人、メダルト・ボスなどによって指摘されている。例えば、ビンスワンガーは、関心のもとに生きる世界内存在という概念の不十分さを指摘し、愛のもとに生きる世界超出存在というものを、『人間的現存在の根本形式と認識』で論じているが、そうした試みは彼らによって誤解だとされている。筆者としては、ビンスワンガーによるハイデガー哲学そのものの修正は、レヴィナスによるハイデガー批判とほぼ同一の問題意識の下になされているように思える。従って、こうしたビンスワンガーのハイデガー理解は、ただの誤解というだけではなく、一定の思想史的必然性のあるものであったとはいえるだろう。
ビンスワンガー現存在分析の時期的区分
宮本忠雄(1966)は、ビンスワンガーの理論的展開を四つの時期に分けて整理している。ここでもそれに従って、それぞれの時期の傾向や代表的論文、著作について手短にまとめておく。
1精神分析への道(1906~1920)
最初の段階は、フロイトの精神分析に基づいて実践や研究を行っていた時期である。この時期としては『あるヒステリー性恐怖症の分析』や『一般心理学の諸問題への序論』がある。ビンスワンガーは1911年にリープマンの「精神医学に対するウェルニッケの意義」という講演を聞き、同じように精神医学に対するフロイトの意義を語ることができるのではないかと考え、それが精神分析を哲学的に考え直すきっかけになったといわれている。
2現象学への傾斜(1921-1929)
次の段階は、フッサールの現象学に基づき、現象学的精神病理学という立場に立つようになった時期である。この時期の代表的なものには、『現象学について』や『生命機能と内的生活史』などがある。ビンスワンガーは後者の論文で、精神医学にはない精神分析の科学的意義を、個人の内的歴史を扱うという点に見ている。
3現存在分析への展開(1930-1955)
三番目の段階は、ハイデガーの『存在と時間』に影響を受け、現存在分析を提唱するようになった時期である。この時期の代表的なものには、『夢と実存』、『人間的現存在の根本形式と認識』、『精神分裂病』などがある。『夢と実存』はかなり有名な論文であり、フランスで出版される際にはあのミシェル・フーコーが序文を書いている。『精神分裂病』はビンスワンガーの主著とみなされることの多い最も代表的な著作といえる。『人間的現存在の根本形式と認識』は、実践面における『精神分裂病』に対応して、ビンスワンガーの理論面における主著といわれているらしいのだが、日本では翻訳されていない。
4現象学への回帰(1956-1966)
最後の段階は、フッサールの現象学が再び重視されるようになり、個々の病理的現象がどのように構成されるのかが主題として研究された時期である。この時期の代表的なものには、『うつ病と躁病』や『妄想』などがある。このような精神病理学的研究は、抗精神病薬の発見、開発によって、現代では大分下火になった感があるが、心理療法を考える上では、依然として重要な意義を持ち得るだろう。
参考文献
L.ビンスワンガー(1967)『現象学的人間学』(荻野恒一、宮本忠雄、木村敏訳)みすず書房
L.ビンスワンガー(1969)『フロイトへの道ー精神分析から現存在分析へ』(竹内 直治 、 竹内 光子訳)岩崎学術出版社
宮本忠雄(1966)「ビンスワンガー」精神病理学, 1, 383-444.
村本詔司(1994)「ビンスヴァンガーからボスへ--現存在分析の展開-1-」花園大学研究紀要 / 花園大学文学部 編 (26), p81-113
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