今日岩波文庫からフロイトの『日常生活の精神病理』が新訳で復刊された。筆者もフロイトのこの著作の復刊は長らく望んでいたので、これはとても嬉しい出来事である。なんと80年ぶりの復刊だそう。これを機会に思ったことを色々と書いてみる。

新訳!
なんと今回の復刊は新訳である。ただ絶版になっているだけなら、古本で買えばいいだけの話しではあるのだが、前の訳には大きな欠点があった。それは文体が旧字体になっていることで、現代の我々には読むのが非常につらいものであった。実はフッサールの『イデーン』なども岩波文庫で出版されているのだが、復刊された際は旧字体のままだったので、『イデーン』も次こそは新訳で出してほしいところである。

訳者について
訳者は高田珠樹という方である。筆者にとっては、この方はハイデガー研究者というイメージの強い人である。その著作『ハイデガー 存在の歴史』は、現在数多く出版されているハイデガー関連の新書・文庫本の中でも、伝記的側面では最も優れたものである。 しかしながら、心理学者であるフロイトの著作を、心理学ではなく哲学の研究者が訳すというのには、ある矛盾を感じざるを得ない。これは翻訳だけでなく、フロイトやラカンに関連する論文を読むときにはいつも感じることである。フロイト関連の本や研究は、そのほとんどが哲学の研究者によって書かれるもので、そこに臨床心理士や公認心理師資格を持つ心理学者の姿は見当たらない。 現在の日本の心理臨床では、精神分析的アプローチはあるべき以上にもてはやされ、評価されている一方で、それをまじめに研究している人はほとんどいないのだろうか。 

内容について
本書でテーマとなっているのは、言い間違えなどの錯誤行為である。臨床心理の概説書などでは軽視されがちなテーマであるが、錯誤行為は夢や神経症と並ぶ、無意識が現実世界に現出する大きな通路の一つである。フロイトの主著と目されることの多い『精神分析入門』は3部に分けられているが、その1部全体がまさに錯誤行為に充てられていることからも、精神分析における錯誤行為の重要性が分かるだろう。 「フロイトへの回帰」というスローガンを掲げ、フロイトのテクストを再び読むことの重要性を主張した50年代のラカンは、数あるフロイトの論文の中でもこの『日常生活の精神病理学』を、『機知』、『夢判断』と共に最も重視している。彼の最も有名な言葉の一つである「無意識はひとつの言語のように構造化されている」という基本的命題は、このフロイトの三部作の要約であるとまで言われている。
また、錯誤行為は夢や神経症と比べても、無意識に関する現象としては我々に近しいものであり、その精神分析的理論は実用性も高い。クライエントが面接に遅刻してくるとき、本音の部分での治療への動機付けに関して懸念しなければならないというのは、精神分析的アプローチでない臨床家でも、経験から知っていることであろう。もちろん、ただ寝坊癖があるだけという場合もあるのであって、過ちの原因を全て無意識に還元するような態度には気をつけなければならないのであるが、こうしたときに感じる臨床家の不安はあたることが多い。

今後の他のフロイト著作の出版について
なんと岩波文庫では今後『精神分析入門』や『夢判断』も出る予定になっているらしい。元々岩波文庫にはなぜかフロイトの著作が異様に少ないというのはよく言われていたことで、この前のラカンの『精神分析の四基本概念』の出版を機に、これからフロイトの著作も増えていくのではないかという噂を聞いたことがあったが、まさか実現することになるとは思わなかった。 しかし、この件に関しては今更感が否めないかもしれない。フロイトには非常に重要であるにも関わらず未だ文庫化されていない論文というものが沢山あるのであって、せっかく他にもフロイト本を出すなら、今回の『日常生活の精神病理』のように、少しマイナーでどこからも文庫化されていないものを出してほしかったというのが本音である。フロイトのドーラ以外の5大症例(鼠男、狼男、ハンス、シュレーバー)や「トーテムとタブー」は未だに文庫で読めない。