前回の記事では、エピクロスとキルケゴールという二人の哲学者について解説した。これまでの歴史上で、死について語った学者は彼ら以外にどのような人がいるだろうか。ここでは、死に関する重要な考察を残した哲学者・心理学者とその代表的著作を一覧にまとめ、それぞれについて簡単な解説をする。個々の詳細な解説はまた今後記事にしていく予定である。
紀元前 プラトン『ソクラテスの弁明』
紀元前 プラトン『クリトン』
紀元前 プラトン『パイドン』
紀元前 アリストテレス『霊魂論』
紀元前 エピクロス『主要教説』
1788年 カント『実践理性批判』
1849年 キルケゴール『死にいたる病』
1883年 ニーチェ『ツァラトゥストラ』
1920年 フロイト『快原理の彼岸』
1927年 ハイデガー『存在と時間』
1943年 サルトル『存在と無』
1959年 ラカン『精神分析の倫理』
1961年 レヴィナス『全体性と無限』
1966年 ジャンケレヴィッチ『死』
1969年 キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』
1970年 ネーゲル『死』
1986年 グリーンバーグ、ピシュチンスキー、ソロモン『自尊心の必要性の原因と結果:恐怖管理理論』
プラトン
西洋哲学の歴史上で、死に関する理論的な考察を初めて残したのはプラトンによって描かれたソクラテスといえるだろう。彼はそれまでの自然を哲学の対象とした哲学者とは異なり、初めて人間的な事象を哲学のテーマにしたと言われているが、死もその内の一つである。彼自身冤罪によって死刑を判決され、死と主体的に向き合ったという経歴を持っている。『ソクラテスの弁明』はその裁判の様子を叙述し、『クリトン』と『パイドン』は判決後から刑執行までの期間に行われた、知り合いとの死に関するの議論を叙述したものとなっている。同じような時代に同じく冤罪によって死刑となった人でイエスがいるが、彼が信仰によって死を受け入れたのに対し、ソクラテスはあくまで理論的な不死の証明によって死を受け入れたという違いがある。特に注目してほしいのは理論的な説明だけでなく、正しく生きるという信念のもとに生きられたソクラテスの実際の生き様である。宗教的なパースペクティブを持たない人にもソクラテスの姿は生と死を考えるにあたって参考になるだろう。
アリストテレス
アリストテレスは哲学的テーマはもちろん、物理学や生物学も含めたあらゆるものについて思索した哲学者であり、万学の祖と言われている。しかし死については案外言及が少なく、割とあっさり考えていたようだ。彼の死に対する見解でよく参照されるのは、『霊魂論』第三巻五章における非受動的理性に関する考察である。ここで非受動的理性は不死なるものであると述べられており、後の中世キリスト教神学にとって重要視される箇所となった。しかし、非受動的理性は理性の一部であり、さらに理性は心の一部に過ぎない。アリストテレスの想定する不死なる心は記憶をもたない単なる機能のようなものであり、不動の動者としての神と同じく、人間的なイメージは払拭されている。
中世
プラトンやエピクロスなどの華々しいギリシャ哲学の時代から数百年下るとイエスが誕生し、キリスト教が始まることになる。キリスト教はローマ帝国やフランク王国といったヨーロッパの礎となった国々によって国教とされ、西洋の歴史で絶大な影響力を持つようになり、その過程で純粋な哲学的思索は廃れていくことになる。その結果、古代ギリシャから19世紀のキルケゴールやニーチェの時代まで、実に約2000年の間、死に関する学問的に意義のある思索は表れなかった。人類の何千年という歴史の中で古代ギリシャという例外的な時期を除けば、我々が死と直接向き合ってきたのは現在までの200年ほどに過ぎないのである。
このような学問的には暗黒といっていいような西洋中世の時代、東洋の中国や日本ではどのような思索が為されていたかが気になる人もいるかもしれない。筆者は東洋哲学に関してはそこまで詳しいわけではないのだが、ここでもやはり死に関する特別有意味な思索は為されなかったように思われる。仏陀の原始仏教や孔子の儒教はそもそも死に関しては考えることに消極的な姿勢をとっており、仏陀の後の時代、仏教はヒンドゥー教の輪廻転生説などと結びつき、哲学から宗教になってしまう。東洋も西洋も含め、世界的に中世は宗教の時代であったと特徴づけることができる。
近代
17世紀になると、デカルトの登場によって象徴される近代哲学が始まる。しかしこのような理性的な哲学の登場によっても宗教が早々に放棄されるということはなく、今度は宗教を理性的に基礎付けようとする試みが始まった。そのため、この時代でも死に関する問題は宗教の陰に隠れ、明確に問われることがなかった。次のスピノザの一文はこのような傾向を象徴的に表しているといえる。「精神が神を愛することの多ければ多いほど、それだけ死が有害でなくなる」(1)
18世紀末に宗教と理性を批判的に吟味したカントは、この時期としては例外的に死を独自の問題として取り上げた哲学者だといえる。彼は『実践理性批判』で道徳の実現のために必要な条件として心の不死性を問題にしたが、その結論は、不死性は要請されるべきものではるが理論的には証明できない、という際どいものであった。こうした中途半端な結論に満足できなかった後継者達はカント哲学を主に超越的な方向から補完することを試み、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続くドイツ観念論という巨大な概念的体系を構成することになる。しかしこのドイツ観念論はいわば理論化された宗教とでもいうようなものであり、その一つ一つのロジックには有益で面白いものも多くあるが、全体としての意義は後世顧みられることはなくなってしまう。
19世紀になると単純に宗教を理論的に基礎付けることによって死の問題を還元するアプローチは少なくなり、直接死を対象とした思索が表れてくる。
ニーチェ
ニーチェは「神は死んだ」という文句で有名な哲学者であり、不死性を証明して死を否定し、現世の生をも否定する生き方から、死と生を共に肯定する生き方への転換を目指した。有名な概念に永遠回帰というものがある。この概念は多義的な概念であるが、その意義の一つは、最期の審判と神の国の到来を期待し、この世の問題を全て先送りにするというキリスト教的な人生観の否定にある。死後に待っているのがまた同じ生の繰り返しであるのであれば、今ある現在を肯定できるようになることを目指さなければならないのである。『ツァラトゥストラ』で死を直接主題にしている章は第一部の21章だけであるが、ニーチェにおける死の意義は永遠回帰を初めとするニーチェ哲学全体の解釈にかかっている。
フロイト
フロイトは精神分析家であり、その後期の理論において、人は根本的なところで自ら死を望んでいるという中々奇妙な仮説を提唱した。この死を望むという動機は、死の欲動(タナトス)として、1920年の『快原理の彼岸』という論文で初めて理論化された。この死の欲動は生の欲動と大抵の場合は混ざり合って一つの欲望を形成しているが、強い死の欲動が内側に向けられると自傷や自殺の原因となり、外側に向けられると暴力や戦争の原因になるとされる。この仮説は後の精神分析の後継者の大半においては顧みられなくなっていくが、クライン派やラカン派には受け継がれ、単純な生死にとらわれない人の生き方を考察することを可能にした。
ハイデガー
ハイデガーは『存在と時間』の第1部2編1章で、良心と共に先駆的覚悟生を構成する一契機として死を考察している。そこで彼は死の必然性や予見不可能性を改めて確認し、そこから普段人々がどのように逃避しているかという精彩な叙述を行った。人はこの死を逃避せず見据えることによって人生の全体的な展望を得ることができ、世間に埋没してただ現在のみを生きている非本来的時間性から、自身の過去から未来を考え、現在を生きるという本来的時間性への移行が可能になる。ハイデガーの死の考察は『存在と時間』で最も重要な要素の一つであり、実存主義としてまとめられるような思想全体にとってもそうである。
サルトル
サルトルは『存在と無』の第4部で対自の事実性の一つとして死を問題にしている。サルトルはハイデガーの死が私の死としてあらかじめ特権化されていることを指摘して死を相対化し、本来性と非本来性の区別を廃棄している。このサルトルによるハイデガー批判はその重要性の割にはあまり問題にされていない。また、サルトルは対他存在としての死、死後に人によって好き勝手に解釈される自己というものを論じているのも特別な点の一つである。
ラカン
ラカン派の精神分析の中心的概念である欲望は、自己保存を中心原理とする欲求とは区別された概念であり、ときには死をも辞さない行動を伴うものである。従って死をいかに受け入れるか、という問題を扱うに至っては欲望を中心としたラカン派精神分析の全ての理論が重要性を持っている。とりわけラカン派理論と死の概念の接点がより明瞭に表れているのは、現実界が死の欲動を満足させるジュイッサンスの領域と見なされ始めた60年代の議論だろう。この年代の理論の最初のセミネールとされる倫理のセミネールでは、死刑を伴う人道的行為を欲望の法に従って優先したアンティゴネの逸話がテーマとされている。
レヴィナス
他者論で有名なレヴィナスだが、彼は『全体性と無限』の第三部の一節で死を主題にして論じている。そこでは死によっても消え去ることがない「間人格的な秩序」という表現が出てくるが、この秩序とはおそらくエロス的な関係である。従って、レヴィナス哲学における死を理解するには第四部のエロス論全体も重要になる。レヴィナスは、父は子の内に自分を再び見いだすと述べている。このような他者に生を託すことによって象徴的な不死性を得るという構図はトランスパーソナル心理学にも共通なものであり、死と向き合う一つの在り方といえるだろう。
ジャンケレヴィッチ
ジャンケレヴィッチは1966年に『死』という一冊の大作を著している。この著作に関しては筆者はまだ読めていないので詳しいことは分からないのだが、彼は死を一人称のもの、二人称のもの、三人称のものと分けて論じている。
キューブラーロス
キューブラーロスは精神科医であり、重病を患って死を目前にした人たちに行ったインタビューを元に『死ぬ瞬間』という本を著した。この著作は死にゆく人がどのようなことを感じ、考えているかを叙述した本であり、人は死に対して、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という五つの段階を経るというモデルを提示している。このような実際に死に面した人々のリアリティを精彩に描いた叙述はその後の医療や学問の在り方に非常に大きな影響を与え、ホスピス(緩和ケア)、ターミナルケア(終末期医療)、死生学、デス・エデュケーション(死の準備教育)の大きな礎を築くものとなった。
ネーゲル
ネーゲルは1970年の『死』(2)という論文で、なぜ死は恐れられるのかという問題に対して剥奪説と呼ばれる仮説を提唱した。この剥奪説とは、死が我々にとって悪であるのは、我々が生きていれば得られるはずだった利益をそれが奪うことによるというものである。死の否定やそれに対する対応はそれまでよく論じられてきていたが、そもそも死はなぜ人にとって忌諱されるのかという問題は意外と問われなかったテーマである。剥奪説は非常にシンプルな仮説であるが、これから人が死について考えていく上での基礎的な出発点を提供しているといえる。
グリーンバーグ、ピシュチンスキー、ソロモン
ソロモンとグリーンバーグは1986年の論文(3)で恐怖管理理論を提唱し、その後多くの実証的研究でその仮説を支持する結果を見いだしてきた。この恐怖管理理論とは、人は自尊心を得ることによって死への恐怖を抑えているというものである。2004年に出版された『実験実存心理学ハンドブック』(4)では、ヤロムの実存的心理療法の枠組みを基に実証的心理学の一分野が組織化され、恐怖管理理論はこの実験実存心理学の中心的理論になっている。
ここまで見てきたように、社会に対する宗教の影響が減少していくのに従って、死に対する学問的研究は増えていき、特に20世紀以降は豊富な知見が提唱されてきた。現代の哲学と心理学において、それぞれ特に影響を持っているのは剥奪説と恐怖管理理論であるように見える。
この記事は人類の死生観を概観したものではない。なぜならここでは死に対する宗教的な見方やスピリチュアルな見方は扱っていないからである。宗教、スピリチュアリティに基づいた死の見方は心理臨床における学問的価値をあまり持っていない。しかし、人が幸福に生きるという目的において実践的価値を持っているのは確かだ。従って、それらの人生における実際的な効用の研究は重要である。
(1)スピノザ(1951)『エチカ』(畠中尚志訳)岩波書店
(2)Nagel, T. (1970). Death. Noûs, 4(1), 73–80. https://doi.org/10.2307/2214297
(3)Greenberg, J., Pyszczynski, T., Solomon, S. (1986). The Causes and Consequences of a Need for Self-Esteem: A Terror Management Theory. In: Baumeister, R.F. (eds) Public Self and Private Self. Springer Series in Social Psychology. Springer, New York, NY. https://doi.org/10.1007/978-1-4613-9564-5_10
(4)Greenberg, J., Koole, S. L., & Pyszczynski, T. A. (Eds.). (2004). Handbook of experimental existential psychology. Guilford Press.
紀元前 プラトン『ソクラテスの弁明』
紀元前 プラトン『クリトン』
紀元前 プラトン『パイドン』
紀元前 アリストテレス『霊魂論』
紀元前 エピクロス『主要教説』
1788年 カント『実践理性批判』
1849年 キルケゴール『死にいたる病』
1883年 ニーチェ『ツァラトゥストラ』
1920年 フロイト『快原理の彼岸』
1927年 ハイデガー『存在と時間』
1943年 サルトル『存在と無』
1959年 ラカン『精神分析の倫理』
1961年 レヴィナス『全体性と無限』
1966年 ジャンケレヴィッチ『死』
1969年 キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』
1970年 ネーゲル『死』
1986年 グリーンバーグ、ピシュチンスキー、ソロモン『自尊心の必要性の原因と結果:恐怖管理理論』
プラトン
西洋哲学の歴史上で、死に関する理論的な考察を初めて残したのはプラトンによって描かれたソクラテスといえるだろう。彼はそれまでの自然を哲学の対象とした哲学者とは異なり、初めて人間的な事象を哲学のテーマにしたと言われているが、死もその内の一つである。彼自身冤罪によって死刑を判決され、死と主体的に向き合ったという経歴を持っている。『ソクラテスの弁明』はその裁判の様子を叙述し、『クリトン』と『パイドン』は判決後から刑執行までの期間に行われた、知り合いとの死に関するの議論を叙述したものとなっている。同じような時代に同じく冤罪によって死刑となった人でイエスがいるが、彼が信仰によって死を受け入れたのに対し、ソクラテスはあくまで理論的な不死の証明によって死を受け入れたという違いがある。特に注目してほしいのは理論的な説明だけでなく、正しく生きるという信念のもとに生きられたソクラテスの実際の生き様である。宗教的なパースペクティブを持たない人にもソクラテスの姿は生と死を考えるにあたって参考になるだろう。
アリストテレス
アリストテレスは哲学的テーマはもちろん、物理学や生物学も含めたあらゆるものについて思索した哲学者であり、万学の祖と言われている。しかし死については案外言及が少なく、割とあっさり考えていたようだ。彼の死に対する見解でよく参照されるのは、『霊魂論』第三巻五章における非受動的理性に関する考察である。ここで非受動的理性は不死なるものであると述べられており、後の中世キリスト教神学にとって重要視される箇所となった。しかし、非受動的理性は理性の一部であり、さらに理性は心の一部に過ぎない。アリストテレスの想定する不死なる心は記憶をもたない単なる機能のようなものであり、不動の動者としての神と同じく、人間的なイメージは払拭されている。
中世
プラトンやエピクロスなどの華々しいギリシャ哲学の時代から数百年下るとイエスが誕生し、キリスト教が始まることになる。キリスト教はローマ帝国やフランク王国といったヨーロッパの礎となった国々によって国教とされ、西洋の歴史で絶大な影響力を持つようになり、その過程で純粋な哲学的思索は廃れていくことになる。その結果、古代ギリシャから19世紀のキルケゴールやニーチェの時代まで、実に約2000年の間、死に関する学問的に意義のある思索は表れなかった。人類の何千年という歴史の中で古代ギリシャという例外的な時期を除けば、我々が死と直接向き合ってきたのは現在までの200年ほどに過ぎないのである。
このような学問的には暗黒といっていいような西洋中世の時代、東洋の中国や日本ではどのような思索が為されていたかが気になる人もいるかもしれない。筆者は東洋哲学に関してはそこまで詳しいわけではないのだが、ここでもやはり死に関する特別有意味な思索は為されなかったように思われる。仏陀の原始仏教や孔子の儒教はそもそも死に関しては考えることに消極的な姿勢をとっており、仏陀の後の時代、仏教はヒンドゥー教の輪廻転生説などと結びつき、哲学から宗教になってしまう。東洋も西洋も含め、世界的に中世は宗教の時代であったと特徴づけることができる。
近代
17世紀になると、デカルトの登場によって象徴される近代哲学が始まる。しかしこのような理性的な哲学の登場によっても宗教が早々に放棄されるということはなく、今度は宗教を理性的に基礎付けようとする試みが始まった。そのため、この時代でも死に関する問題は宗教の陰に隠れ、明確に問われることがなかった。次のスピノザの一文はこのような傾向を象徴的に表しているといえる。「精神が神を愛することの多ければ多いほど、それだけ死が有害でなくなる」(1)
18世紀末に宗教と理性を批判的に吟味したカントは、この時期としては例外的に死を独自の問題として取り上げた哲学者だといえる。彼は『実践理性批判』で道徳の実現のために必要な条件として心の不死性を問題にしたが、その結論は、不死性は要請されるべきものではるが理論的には証明できない、という際どいものであった。こうした中途半端な結論に満足できなかった後継者達はカント哲学を主に超越的な方向から補完することを試み、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続くドイツ観念論という巨大な概念的体系を構成することになる。しかしこのドイツ観念論はいわば理論化された宗教とでもいうようなものであり、その一つ一つのロジックには有益で面白いものも多くあるが、全体としての意義は後世顧みられることはなくなってしまう。
19世紀になると単純に宗教を理論的に基礎付けることによって死の問題を還元するアプローチは少なくなり、直接死を対象とした思索が表れてくる。
ニーチェ
ニーチェは「神は死んだ」という文句で有名な哲学者であり、不死性を証明して死を否定し、現世の生をも否定する生き方から、死と生を共に肯定する生き方への転換を目指した。有名な概念に永遠回帰というものがある。この概念は多義的な概念であるが、その意義の一つは、最期の審判と神の国の到来を期待し、この世の問題を全て先送りにするというキリスト教的な人生観の否定にある。死後に待っているのがまた同じ生の繰り返しであるのであれば、今ある現在を肯定できるようになることを目指さなければならないのである。『ツァラトゥストラ』で死を直接主題にしている章は第一部の21章だけであるが、ニーチェにおける死の意義は永遠回帰を初めとするニーチェ哲学全体の解釈にかかっている。
フロイト
フロイトは精神分析家であり、その後期の理論において、人は根本的なところで自ら死を望んでいるという中々奇妙な仮説を提唱した。この死を望むという動機は、死の欲動(タナトス)として、1920年の『快原理の彼岸』という論文で初めて理論化された。この死の欲動は生の欲動と大抵の場合は混ざり合って一つの欲望を形成しているが、強い死の欲動が内側に向けられると自傷や自殺の原因となり、外側に向けられると暴力や戦争の原因になるとされる。この仮説は後の精神分析の後継者の大半においては顧みられなくなっていくが、クライン派やラカン派には受け継がれ、単純な生死にとらわれない人の生き方を考察することを可能にした。
ハイデガー
ハイデガーは『存在と時間』の第1部2編1章で、良心と共に先駆的覚悟生を構成する一契機として死を考察している。そこで彼は死の必然性や予見不可能性を改めて確認し、そこから普段人々がどのように逃避しているかという精彩な叙述を行った。人はこの死を逃避せず見据えることによって人生の全体的な展望を得ることができ、世間に埋没してただ現在のみを生きている非本来的時間性から、自身の過去から未来を考え、現在を生きるという本来的時間性への移行が可能になる。ハイデガーの死の考察は『存在と時間』で最も重要な要素の一つであり、実存主義としてまとめられるような思想全体にとってもそうである。
サルトル
サルトルは『存在と無』の第4部で対自の事実性の一つとして死を問題にしている。サルトルはハイデガーの死が私の死としてあらかじめ特権化されていることを指摘して死を相対化し、本来性と非本来性の区別を廃棄している。このサルトルによるハイデガー批判はその重要性の割にはあまり問題にされていない。また、サルトルは対他存在としての死、死後に人によって好き勝手に解釈される自己というものを論じているのも特別な点の一つである。
ラカン
ラカン派の精神分析の中心的概念である欲望は、自己保存を中心原理とする欲求とは区別された概念であり、ときには死をも辞さない行動を伴うものである。従って死をいかに受け入れるか、という問題を扱うに至っては欲望を中心としたラカン派精神分析の全ての理論が重要性を持っている。とりわけラカン派理論と死の概念の接点がより明瞭に表れているのは、現実界が死の欲動を満足させるジュイッサンスの領域と見なされ始めた60年代の議論だろう。この年代の理論の最初のセミネールとされる倫理のセミネールでは、死刑を伴う人道的行為を欲望の法に従って優先したアンティゴネの逸話がテーマとされている。
レヴィナス
他者論で有名なレヴィナスだが、彼は『全体性と無限』の第三部の一節で死を主題にして論じている。そこでは死によっても消え去ることがない「間人格的な秩序」という表現が出てくるが、この秩序とはおそらくエロス的な関係である。従って、レヴィナス哲学における死を理解するには第四部のエロス論全体も重要になる。レヴィナスは、父は子の内に自分を再び見いだすと述べている。このような他者に生を託すことによって象徴的な不死性を得るという構図はトランスパーソナル心理学にも共通なものであり、死と向き合う一つの在り方といえるだろう。
ジャンケレヴィッチ
ジャンケレヴィッチは1966年に『死』という一冊の大作を著している。この著作に関しては筆者はまだ読めていないので詳しいことは分からないのだが、彼は死を一人称のもの、二人称のもの、三人称のものと分けて論じている。
キューブラーロス
キューブラーロスは精神科医であり、重病を患って死を目前にした人たちに行ったインタビューを元に『死ぬ瞬間』という本を著した。この著作は死にゆく人がどのようなことを感じ、考えているかを叙述した本であり、人は死に対して、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という五つの段階を経るというモデルを提示している。このような実際に死に面した人々のリアリティを精彩に描いた叙述はその後の医療や学問の在り方に非常に大きな影響を与え、ホスピス(緩和ケア)、ターミナルケア(終末期医療)、死生学、デス・エデュケーション(死の準備教育)の大きな礎を築くものとなった。
ネーゲル
ネーゲルは1970年の『死』(2)という論文で、なぜ死は恐れられるのかという問題に対して剥奪説と呼ばれる仮説を提唱した。この剥奪説とは、死が我々にとって悪であるのは、我々が生きていれば得られるはずだった利益をそれが奪うことによるというものである。死の否定やそれに対する対応はそれまでよく論じられてきていたが、そもそも死はなぜ人にとって忌諱されるのかという問題は意外と問われなかったテーマである。剥奪説は非常にシンプルな仮説であるが、これから人が死について考えていく上での基礎的な出発点を提供しているといえる。
グリーンバーグ、ピシュチンスキー、ソロモン
ソロモンとグリーンバーグは1986年の論文(3)で恐怖管理理論を提唱し、その後多くの実証的研究でその仮説を支持する結果を見いだしてきた。この恐怖管理理論とは、人は自尊心を得ることによって死への恐怖を抑えているというものである。2004年に出版された『実験実存心理学ハンドブック』(4)では、ヤロムの実存的心理療法の枠組みを基に実証的心理学の一分野が組織化され、恐怖管理理論はこの実験実存心理学の中心的理論になっている。
ここまで見てきたように、社会に対する宗教の影響が減少していくのに従って、死に対する学問的研究は増えていき、特に20世紀以降は豊富な知見が提唱されてきた。現代の哲学と心理学において、それぞれ特に影響を持っているのは剥奪説と恐怖管理理論であるように見える。
この記事は人類の死生観を概観したものではない。なぜならここでは死に対する宗教的な見方やスピリチュアルな見方は扱っていないからである。宗教、スピリチュアリティに基づいた死の見方は心理臨床における学問的価値をあまり持っていない。しかし、人が幸福に生きるという目的において実践的価値を持っているのは確かだ。従って、それらの人生における実際的な効用の研究は重要である。
(1)スピノザ(1951)『エチカ』(畠中尚志訳)岩波書店
(2)Nagel, T. (1970). Death. Noûs, 4(1), 73–80. https://doi.org/10.2307/2214297
(3)Greenberg, J., Pyszczynski, T., Solomon, S. (1986). The Causes and Consequences of a Need for Self-Esteem: A Terror Management Theory. In: Baumeister, R.F. (eds) Public Self and Private Self. Springer Series in Social Psychology. Springer, New York, NY. https://doi.org/10.1007/978-1-4613-9564-5_10
(4)Greenberg, J., Koole, S. L., & Pyszczynski, T. A. (Eds.). (2004). Handbook of experimental existential psychology. Guilford Press.
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