実存分析ウィーン学派の成立
事の発端は1991年の春、ウィーンのロゴセラピー・実存分析学会(Gesellschaft fur Logotherapie und Existenzanalys,GLE)で起こった(1)。まさにロゴセラピーの本拠地ともいえるウィーンのこの学会で名誉会長を務めていたフランクルが、この学会における研究や実践の進展を支持できないとして、その地位を自ら辞任したのである。
このGLEという学会は1980年代初頭に発足した学会で、長期的に続いているロゴセラピーの学会で最も最初にできたものの一つである。この学会が発足した当時から、ラングレ(Längle)を中心とするメンバー達は心理療法としてのロゴセラピーの感想を率直に話し合い、その問題を議論すると共に改善するための研究を行っていた。
そこで皆が一致して認めた問題は二つあったという。一つ目はロゴセラピーが理論的な前提にとどまっており、生きる意味の問題に対しては具体的な技法を持っていないこと、二つ目はロゴセラピーの病理学的理論に関するもので、生きる意味の喪失に対処するには、意味それ自体だけでなく現実性や価値、自己といった他の要因も考慮する必要があるということだった。こうした問題を改善するためにLangle達は、生きる意味を失ったクライエントを援助するための意味発見法(Meaning Finding Method,MFM)、意味への意志を扱う意志強化法(Will Strengthening Method,WSM)、現象学的な態度で対象と向き合う椅子技法(Chair Method)、現象学的な態度で内面のうつや不安と向き合う個人位置づけ法(Method of Personal Positioning,PP)、また生きる意味の程度を測定する実存尺度(Existential Scale,ES)を開発した。これらの技法や尺度は後に現象学的な方法論を基礎とした個人実存分析(Personal Existential Analysis,PEA)として体系化されることになる。
このように学会発足からわずか20年足らずでロゴセラピーは驚くべき発展を遂げたのだが、フランクル自身はこうした進展をあまりよいものと考えていなかったらしく、ついに決裂したのが最初に述べた1991年の出来事なのであった。
フランクルの矛盾
このような事の経緯を筆者は大学の学部生の頃には知ったのだが、非常に驚くと共にとても残念な気持ちになったのであった。なぜならフランクルは自身がかつてアドラーによって破門されたことを悲観的に回顧し、自身の後継者達が自由な研究を推進していくことを歓迎する姿勢をいたるところで示していたからである。例えば彼は以下のようなことを述べている(2)。
「私は、私のように批判的な見解を抱いていても、個人心理学者の仲間に加われるだろうと考えていた
のですが、アドラーのほうは私を除名しなければならないとこだわったのです。」
ロゴセラピーに関する学術書に関して、
「その本の前書きで私ははっきりとこう言っておきました。それぞれの執筆者が別々のことを、ある意味では私がまったく賛成しかねるようなことをも言っているが、かれらには、その権利があり、完全な自由がある、ロゴセラピーには正当というものはないのだから、と。」
1980年に開かれた初のロゴセラピー世界会議では『ロゴセラピーの脱権威化のために』という講演をし、その中ではルーカスの「ロゴセラピーほど教義に囚われず、人々に開かれた学派は今までにけっして存在しなかった」という評価を引用し、「父親としての私の存在、もしくはロゴセラピーの創始者は、その創立に簡単に置かれているという意味にすぎない」と述べている(3)。
学派の対立
フランクルのGLE辞任後は、フランクルの理念に忠実に研究・実践を行う保守派の組織が次々と設立され、ロゴセラピーの学派が二分されるという事態になった。日本のロゴセラピーの文献でよく見るウィーンのフランクル研究所はこの出来事の翌年、1992年に設立された組織であり、1994年にはGLEに対する平行組織としてロゴセラピー・実存分析研修所(Ausbildungsinstitut fur Logotherapie und Existenzanalyse,ABILE)が設立された。ウィーンのフランクル研究所はその後保守派の中心になり、世界中にあるロゴセラピーの研究・訓練機関はそのほとんどがこの研究所との提携組織になっている。他方でララングレ達GLEは自らの立場をウィーン学派と位置づけるようになり(4)、その心理療法をフランクルの古典的ロゴセラピーと区別して実存分析と呼ぶようになった。ウィーン学派はそれからまた研究を進展させ、先程挙げた多くの技法の開発を超えてさらに大きな理論的、技法的体系を有するようになっている。
日本への影響
筆者自身当事者とこのことについて話したことはないので詳しくはないのだが、フランクル自身含めて、保守系の学派でラングレ達GLEの存在とその研究、実践はほとんどなかったかのように隠蔽されているような節がある。日本では今や25冊ほどのフランクルの本が翻訳出版され、解説書や学術書も多く出版されている。筆者もそのほとんど全てに目を通しているはずなのだがラングレの研究や理論はおろかその名前すらも一度も見たことがない。唯一の例外はハドン・クリングバーグ・ジュニアの詳しい伝記で少し触れられているほどである。そこでもフランクルのラングレに対する関係について、こう書かれている(5)。「何年間もフランクル夫妻にインタビューしたが、フランクル自身がレングレについて語るのはまれだった。」
ウィーン学派の評価
実際、ラングレを中心としたウィーン学派の発展はどのようなものだったのだろうか。それがもし生きる意味を全く問題にしなくなったとか、フロイトの精神分析のように再び心理主義的な決定論に後戻りしたというのであれば、このような扱われ方も仕方のないところもあるかとは思う。しかし筆者の見る限り、彼らの研究はまさにロゴセラピーの最も決定的な欠点を的確に補い、理論的にも技法的にも非常に高度な進歩を示している。彼らが最初に自覚したようなロゴセラピーにおいて生きる意味の問題を扱う方法がないという問題は他の研究者にもしばしば指摘されるところであり、そのような技法が発展しないのはフランクルの意味の概念に超越的な側面が含まれているからである。Joelson(6)はロゴセラピーは心理療法ではなく一つの人生哲学であると述べ、wong(7)はロゴセラピーのセッションはしばしばその哲学と価値の理論を教えるだけで終わってしまうと評価している。Correiaら(8)の調査では、ロゴセラピーの学術機関は他の実存的心理療法の中でも圧倒的に数が多いにもかかわらず、実際に臨床で実践している人はイギリス学派よりも少ないことを明らかにしている。こうした逆転が起きるのも古典的なロゴセラピーが問いのコペルニクス的転回や三つの価値カテゴリーといった理論で終始し、実際の臨床面接で用いることのできる具体的な方法論に乏しいからではないだろうか。
このような欠点を補ララングレの理論や研究が、これほどロゴセラピーの本が出版され続けているにもかかわらず日本で全く知られていないのは研究者として非常に残念なことだと言わざるをえない。意味中心カウンセリング・心理療法(MCCT)のwongはロゴセラピーにおける保守派とウィーン学派の両方と良好な関係を保っているようであるが、彼もMCCTを理論化するのが10年早ければ、フランクルとの対立は避けられなかっただろう。
付記
このような記事を書いたからといって、筆者にとってフランクルが最も尊敬すべき重要な心理学者であるのは変わらないし、そもそも学者の個人的な振る舞いにそこまで関心があるわけではない。それはハイデガーがナチスに加担したからといって『存在と時間』の価値が減るわけではないのと一緒である。もちろん、フランクルの振るまいはハイデガーに比べるとほんのささいなことに過ぎないが、後に残した学問の発展への影響という点に関しては、同等かそれ以上のものがあるかもしれない。
(1)Längle A (2014) From Viktor Frankl’s
Logotherapy to Existential Analytic psychotherapy. In: European Psychotherapy 12, 67-83
(2)V.E.フランクル、F.クロイツァー(1997)『宿命を超えて、自己を超えて』(山田邦男、松田美佳訳)春秋社
(3)ヴィクトール・E・フランクル(2015)『絶望から希望を導くために』(広岡義之訳)青土社
(4)Längle A. (2012) Barnett L, Madison G (Eds) Existential therapy: Legacy, vibrancy, and dialogue New York: Routledge, 2ß12,
159-170
(5)ハドン・クリングバーグ・ジュニア(2006)『人生があなたを待っている2』(赤坂桃子訳)みすず書房
(6)Weisskopf-Joelson, E. (1975)Logotherapy:
Science or faith? Psychotherapy: Theory, Research & Practice, 12(3),
238–240
(7)Wong, P. T. P. (1998). Meaning-centred
counseling. In P. T. P. Wong & P. S. Fry (Eds.), The human quest for
meaning: A handbook of psychological research and clinical applications (1st
ed., pp. 395-435). Mahwah, NJ: Erlbaum
(8)Edgar A. Correia, Mick Cooper and Lucia
Berdondini(2014)The Worldwide Distribution And Characteristics Of Existential Counsellors And Psychotherapists:Existential Analysis 25.2
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