今回は現在世界で発展している実存的心理療法の各学派についての簡単な紹介をする。日本でもある時期までは外国における実存的心理療法の理論、研究についての積極的な導入、紹介がなされていたが、今ではフランクルの著書がたまに訳される程度にとどまっており、一般の書籍はおろか、論文やネットの記事でさえも、現在の実存的心理療法についての情報は全くない状態となっている。
現在世界で発展している実存的心理療法の学派には、現存在分析学派、ロゴセラピー(実存分析)学派、実存的ー現象学的心理療法学派(Existential-Phenomenological Therapy,EPT)、実存的ー人間学的心理療法学派(Existential-Humanistic Therapy,EHT)、意味中心カウンセリング・心理療法(Meaning-Centered Counseling and Therapy,MCCT)学派の五つがある。
1,現存在分析学派
現存在分析学派はビンスワンガー、メダルト・ボスらによって発展した学派であり、フッサールの現象学、ハイデガーの存在論を取り入れて臨床活動を研究、実践することを特徴としている。ビンスワンガーとボスの著書は日本でもほとんど訳されてよく普及していたので、ある程度臨床心理学に詳しい方なら知っている人も多いと思われる。同学派は1990年のボスの没後、影響力を失っていったように見えるが、今でも国際現存在分析連盟(The International Federation of Daseinsanalysis,IFDA)を中心にいくつかの学会、訓練期間が世界中に存在し、実践と研究が続いている。現在の日本では、臨床心理学領域における現存在分析の研究者、実践者は全くいなくなってしまった。
2,ロゴセラピー(実存分析)学派
ロゴセラピーはフランクルによって提唱された心理療法であり、他の実存的心理療法の中でも、とりわけ生きる意味の問題を中心に据えることが特徴的である。第二次世界大戦のホロコーストサバイバーとしての立場やフランクル自身の積極的な著作・講演活動もあり、ロゴセラピーは実存的心理療法として現在最も世界的に普及し、有名な心理療法となっている。日本でもロゴセラピーの研究・訓練期間がいくつかあり、現在もフランクルの著作はよく訳され出版されているので、知っておられる方は多いと思う。この学派はフランクルの晩年、レングレ(Alfried Längle)を中心とするウィーン学派と保守派に分裂し、ウィーン学派では現在まで理論、技法、両面で大きな進歩が成し遂げられた。日本ではフランクルの本が非常に多く出版され続けているにもかかわらず、フランクル以後のこのような研究、発展は全く知られていない。
3,実存的ー現象学的心理療法学派(Existential-Phenomenological Therapy,EPT)
この学派はR.D.レインが実存主義的な人間観を精神医学の研究に取り入れたことに端を発し、ダーゼン(Emmy van Deurzen)を中心に発足した実存分析学会(Society for Existential Analysis)を主な活動の場として発展してきた。イギリス学派とも呼ばれる。シェーラーやハイデガーといった特定の哲学者に限らず、実存主義に関連のある哲学からの知見を広く積極的に取り入れ、多くの理論的研究が発展している。筆者から見ると、現在最も研究と発展の勢いがある学派であり、ロゴセラピーや現存在分析と区別して単に実存的心理療法という場合、世界ではこの学派のことを意味することが多いほどである。この学派の主な理論家としては、ダーゼンの他にスピネリ(Ernesto Spinelli)、クーン(Hans Choon`s)などがいる。日本ではかつてR.D.レインの著作の大半のものが訳され、近年では『引き裂かれた自己』(1)も文庫化されたが、レイン以降のこうした実存的心理療法としての大きな学問的隆盛については全く知られていない。
4,実存的ー人間学的心理療法学派(Existential-Humanistic Therapy,EHT)
ビンスワンガーの現存在分析などヨーロッパの実存的心理療法がロロメイらによってアメリカに紹介され、人間性心理学と共に(いくらかは同じものとして)発展した学派である。アメリカ学派とも呼ばれる。アーヴィン・ヤロムの『existential psychotherapy』(2)は絶大な影響力を持ち、近年では他の心理療法との統合的枠組みの議論が活発になっている。この学派の理論家としては、ロロメイとヤロム以外にブーゲンタール(James Bugental)、シュナイダー(Kirk J. Schneider)などがいる。日本ではかつてロロメイの著作が積極的に訳され著作集も出ているが、現在ではいずれも絶版になっており、ヤロムに関しては最近実存的テーマに関する本が一冊翻訳出版されたが(3)、実存的心理療法の分野ではフランクルのものに次いで世界中で読まれているところの上述の著書は、約半世紀を経ようとする現在でも訳されていない。
5,意味中心カウンセリング・心理療法(Meaning-Centered Counseling and Therapy,MCCT)学派
意味中心カウンセリング・心理療法は、生きる意味に関する基礎心理学的な研究に基づいてウォン(P.T.Wong)によって理論化された心理療法であり、Meaning Therapy(MT)、Meaning-Centered Counselling(MCT)などとも呼ばれる。実存的心理療法に関する文献では、意味を問題の中心に据えることからロゴセラピーの学派に属するものとして論じられることが多いが(4)(5)、筆者はこの学派が実証的研究に大きく基づくものであることや、人間性心理学やポジティブ心理学の影響も大きく受けていることを特筆すべき特徴と考え、別個の学派としてここに紹介している。日本では生きる意味に関する実証的研究の分野で、浦田悠の『人生の意味の心理学』(6)が出版されており、その中でもWongの研究が紹介されている。この著書は非常に優れた研究書であるが、基礎的心理学の分野のものであるため、臨床面でのWongの試みについては簡単な紹介にとどまっている。
以上、現在世界で発展している実存的心理療法の各学派について紹介したが、折にふれて日本の現状についても説明したことから分かるように、日本はこの分野においてはかなりの後進国である。このことは簡潔に言うと、生きる意味や死といったテーマについて悩む人たちが有意義な情報にアクセスできないということを意味し、そうした人たちを援助する洗練された方法が存在しないということを意味している。筆者はこれほど重大なテーマが関心を持たれないままになっていることに対して奇妙な感を抱き得ないのだが、何はともあれ海外におけるこの分野における基本的な研究やテクストの国内における紹介、翻訳が為されなければならない。
(1)R.D.レイン、天野衛訳(2017)『引き裂かれた自己』ちくま学芸文庫
(2)Irvin D. Yalom(1980)『existential psychotherapy』Basic Books
(3)I.D.ヤーロム、羽下大信監訳(2018)『死の不安に向き合うー実存の哲学と心理臨床プラクティス』岩崎学術出版社
(4)Deurzen, E. v.(Eds.)(2019)『The Wiley World Handbook of Existential Therapy』Wiley-Blackwell
(5)Mick Cooper(2015)『Existential Psychotherapy and Counselling 』SAGE Publications Ltd
(6)浦田悠(2013)『人生の意味の心理学ー実存的な問いを生むこころ』京都大学学術出版会
現在世界で発展している実存的心理療法の学派には、現存在分析学派、ロゴセラピー(実存分析)学派、実存的ー現象学的心理療法学派(Existential-Phenomenological Therapy,EPT)、実存的ー人間学的心理療法学派(Existential-Humanistic Therapy,EHT)、意味中心カウンセリング・心理療法(Meaning-Centered Counseling and Therapy,MCCT)学派の五つがある。
1,現存在分析学派
現存在分析学派はビンスワンガー、メダルト・ボスらによって発展した学派であり、フッサールの現象学、ハイデガーの存在論を取り入れて臨床活動を研究、実践することを特徴としている。ビンスワンガーとボスの著書は日本でもほとんど訳されてよく普及していたので、ある程度臨床心理学に詳しい方なら知っている人も多いと思われる。同学派は1990年のボスの没後、影響力を失っていったように見えるが、今でも国際現存在分析連盟(The International Federation of Daseinsanalysis,IFDA)を中心にいくつかの学会、訓練期間が世界中に存在し、実践と研究が続いている。現在の日本では、臨床心理学領域における現存在分析の研究者、実践者は全くいなくなってしまった。
2,ロゴセラピー(実存分析)学派
ロゴセラピーはフランクルによって提唱された心理療法であり、他の実存的心理療法の中でも、とりわけ生きる意味の問題を中心に据えることが特徴的である。第二次世界大戦のホロコーストサバイバーとしての立場やフランクル自身の積極的な著作・講演活動もあり、ロゴセラピーは実存的心理療法として現在最も世界的に普及し、有名な心理療法となっている。日本でもロゴセラピーの研究・訓練期間がいくつかあり、現在もフランクルの著作はよく訳され出版されているので、知っておられる方は多いと思う。この学派はフランクルの晩年、レングレ(Alfried Längle)を中心とするウィーン学派と保守派に分裂し、ウィーン学派では現在まで理論、技法、両面で大きな進歩が成し遂げられた。日本ではフランクルの本が非常に多く出版され続けているにもかかわらず、フランクル以後のこのような研究、発展は全く知られていない。
3,実存的ー現象学的心理療法学派(Existential-Phenomenological Therapy,EPT)
この学派はR.D.レインが実存主義的な人間観を精神医学の研究に取り入れたことに端を発し、ダーゼン(Emmy van Deurzen)を中心に発足した実存分析学会(Society for Existential Analysis)を主な活動の場として発展してきた。イギリス学派とも呼ばれる。シェーラーやハイデガーといった特定の哲学者に限らず、実存主義に関連のある哲学からの知見を広く積極的に取り入れ、多くの理論的研究が発展している。筆者から見ると、現在最も研究と発展の勢いがある学派であり、ロゴセラピーや現存在分析と区別して単に実存的心理療法という場合、世界ではこの学派のことを意味することが多いほどである。この学派の主な理論家としては、ダーゼンの他にスピネリ(Ernesto Spinelli)、クーン(Hans Choon`s)などがいる。日本ではかつてR.D.レインの著作の大半のものが訳され、近年では『引き裂かれた自己』(1)も文庫化されたが、レイン以降のこうした実存的心理療法としての大きな学問的隆盛については全く知られていない。
4,実存的ー人間学的心理療法学派(Existential-Humanistic Therapy,EHT)
ビンスワンガーの現存在分析などヨーロッパの実存的心理療法がロロメイらによってアメリカに紹介され、人間性心理学と共に(いくらかは同じものとして)発展した学派である。アメリカ学派とも呼ばれる。アーヴィン・ヤロムの『existential psychotherapy』(2)は絶大な影響力を持ち、近年では他の心理療法との統合的枠組みの議論が活発になっている。この学派の理論家としては、ロロメイとヤロム以外にブーゲンタール(James Bugental)、シュナイダー(Kirk J. Schneider)などがいる。日本ではかつてロロメイの著作が積極的に訳され著作集も出ているが、現在ではいずれも絶版になっており、ヤロムに関しては最近実存的テーマに関する本が一冊翻訳出版されたが(3)、実存的心理療法の分野ではフランクルのものに次いで世界中で読まれているところの上述の著書は、約半世紀を経ようとする現在でも訳されていない。
5,意味中心カウンセリング・心理療法(Meaning-Centered Counseling and Therapy,MCCT)学派
意味中心カウンセリング・心理療法は、生きる意味に関する基礎心理学的な研究に基づいてウォン(P.T.Wong)によって理論化された心理療法であり、Meaning Therapy(MT)、Meaning-Centered Counselling(MCT)などとも呼ばれる。実存的心理療法に関する文献では、意味を問題の中心に据えることからロゴセラピーの学派に属するものとして論じられることが多いが(4)(5)、筆者はこの学派が実証的研究に大きく基づくものであることや、人間性心理学やポジティブ心理学の影響も大きく受けていることを特筆すべき特徴と考え、別個の学派としてここに紹介している。日本では生きる意味に関する実証的研究の分野で、浦田悠の『人生の意味の心理学』(6)が出版されており、その中でもWongの研究が紹介されている。この著書は非常に優れた研究書であるが、基礎的心理学の分野のものであるため、臨床面でのWongの試みについては簡単な紹介にとどまっている。
以上、現在世界で発展している実存的心理療法の各学派について紹介したが、折にふれて日本の現状についても説明したことから分かるように、日本はこの分野においてはかなりの後進国である。このことは簡潔に言うと、生きる意味や死といったテーマについて悩む人たちが有意義な情報にアクセスできないということを意味し、そうした人たちを援助する洗練された方法が存在しないということを意味している。筆者はこれほど重大なテーマが関心を持たれないままになっていることに対して奇妙な感を抱き得ないのだが、何はともあれ海外におけるこの分野における基本的な研究やテクストの国内における紹介、翻訳が為されなければならない。
(1)R.D.レイン、天野衛訳(2017)『引き裂かれた自己』ちくま学芸文庫
(2)Irvin D. Yalom(1980)『existential psychotherapy』Basic Books
(3)I.D.ヤーロム、羽下大信監訳(2018)『死の不安に向き合うー実存の哲学と心理臨床プラクティス』岩崎学術出版社
(4)Deurzen, E. v.(Eds.)(2019)『The Wiley World Handbook of Existential Therapy』Wiley-Blackwell
(5)Mick Cooper(2015)『Existential Psychotherapy and Counselling 』SAGE Publications Ltd
(6)浦田悠(2013)『人生の意味の心理学ー実存的な問いを生むこころ』京都大学学術出版会
コメント